株式会社清水園
会員名:清水 孝麿(国際事業特別委員会)
一日の出会いを、一生の縁に。 清水園 大宮の宴会場・結婚式場
この度はビジネスPRの機会をいただき、ありがとうございます。
さっそくですが、弊社の紹介をさせていただきます。
初代清水うちゅう、二代目清水友吉、三代目清水ふさ、四代目清水時子・常夫、五代目清水猛、そして現在、代表取締役を務めております清水志摩子が六代目にあたります。
二代目清水友吉が蕎麦屋を始め、評判良く一気に繁盛店になったと聞いております。その後、建物を2階建てから3階建てへと増築し、蕎麦だけではなく割烹料理も始め、多様なお客様をおもてなしするようになっていきました。3階屋上には水盤を設置し、屋形船を浮かべ夏には氷柱を立て芸者が仰ぎ楽しんでいたそうです。
明治23年、2代目清水友吉が、武蔵一之宮氷川神社の参道沿い、旧本館跡地に新たな清水園「割烹旅館清水園」を創業しました。当時はまだ料亭という言葉はなく、割烹料理屋でした。割烹旅館も始め、清水園では温泉が湧きでていたと伝わっております。一万坪の広大な敷地には離れ屋が20以上あり、それぞれに趣向を凝らした日本庭園やお座敷では、数々の政財界の方々が集い、一番料亭として地位を確立していくことになります。地域の方々は清水園を「清水公園」と呼び、地元の小学生の遠足の場所として利用するなど、地域の憩いの場としても長年にわたり親しまれてきました。
時代は昭和に入り、二代目友吉の娘・ふさが三代目を継ぎます。大正時代女性で初めて自動車免許を取った先進的な考えと行動力を持ち合わせた女将であり、財政界人・著名人にも信頼が厚く、高級料亭の基盤をさらに固めていきました。
昭和24年にふさは「清水園」を株式会社に改組すると同時に、県内最大の150畳の大広間を作り、市民の披露宴というもの意識を大きく変えました。この頃から結婚式場、披露宴会場としての事業を拡大させていきました。氷川神社で式を挙げ清水園で披露宴を執り行うのが市民の最大のステータスであり、憧れもあったようです。
その後、清水時子が四代目を継ぎます。祭りごとの好きだった四代目は地元の方々との交流も深く、東町の祭りの時などにはその敷地を開放したりなどして、街の活性化を図る活動にも取り組んできました。
昭和49年、五代目として清水猛が引き続き、二階建ての新社屋で新生「清水園」をスタートさせます。これまでの高級料亭から大衆的なパーティーが開催できる様式・料理などを考案し、婚礼事業と宴会事業に力をいれていくようになりました。後に六代目となる清水志摩子も経営に加わり、フランスでの生活で培われた国際感覚や独創的な発想が、清水園のさらなる発展を遂げていく原動力となりました。
そしてコロナ禍を経て、更なる飛躍をすべく、新社屋を建設することを決断しました。令和5年3月26日、惜しまれつつも旧本館跡地(大宮区東町二丁目204)での営業を終了いたしました。

旧本館の外観
令和6年7月19日、大宮区東町二丁目204-1にて新館がグランドオープンとなりました。

新館の外観
武蔵一宮 氷川神社を奉斎した荘厳な神殿

解放感溢れる3階バンケット会場「飛龍」

清水園はこれからもお客様の晴れの場として、お客様が安心できる最高のおもてなしを提供してまいります。
株式会社清水園
専務取締役 清水 孝麿
〒330-0841 埼玉県さいたま市大宮区東町二丁目204番地1